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日本が誇るリサイクル方式を
未来へつないでいく

J-EPS RECYCLING SOTRY

パナ・ケミカルのはじまり

19 76 年、創業者犬飼重平は東京・杉並区郊外の駅に近い一角に、松下電工の販売するプラスチック材料全般を扱う代理店として、株式会社パナ・ケミカルを創業した。社員3名からのスタートだった。当時は日本中にオイルショック※1の風が吹き荒れ、
仕入れるプラスチック原料※2もない中で、「どうしたら原料の不足をカバーできるのか」を考え続ける日々だった。

※ 1 オイルショックは1973 年に始まり1980 年にピークを迎える。
※ 2 プラスチックは原油からつくられる。

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運命的な光景が

リサイクル事業へと導いた

そんな中、重平は営業の帰りにたまたま通りかかった築地市場で、ある運命的な光景を目の当たりにする。それは市場から立ちのぼる黒煙だった。「リサイクル」という言葉もなかった時代、築地市場では日々大量に廃棄される発泡スチロールを燃やしていた。

ここから

発泡スチロールリサイクルの
歴史がはじまる

築地市場は発泡スチロールの使用量が全国で最も多い場所である。大量に廃棄され、燃やされていく発泡スチロール。一方で日本におけるプラスチック原料の不足は日々深刻さを増していた。「どうすればこの問題を解決できるのか」重平はビジネスプランを考え続けたが、市場関係者は聞く耳をもたず、商談どころか相手にもされない日々が続いた。

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再資源化のビジネスモデル

重平は思案の末に、発泡スチロールを再生プラスチックに加工して、リサイクルするビジネスモデルを考案する。機械メーカーを説得して処理機第一号を開発。発泡スチロールを資源の再利用に適した樹脂塊(Aランプ※)にすることに成功した。パナ・ケミカルは市場で処理したAランプを買取ることでプラスチック原料を調達し、築地市場関係者には廃棄物から再生資源を生むというビジネスモデルを提案したのだった。

※ A ランプとは、発泡スチロールを再生利用のために熱減容したインゴットのこと。樹脂の塊。

それでも信用されない。

覚悟と行動の日々

「単に機械を売り込むための口実ではないのか、信用できる話なのか」。処理機の納入後もリサイクルの仕組みはなかなか理解してもらえない。市場関係者の反応はまだまだ冷ややかだった。約束を必ず履行する覚悟を示さなければならない。「再資源化したAランプは必ず買い取る」重平は市場責任者との間で誓約書を交わし、処理機の操作説明や再生資源化されたAランプの買取に毎日市場へ赴いた。重平は市場関係者からの信頼を徐々に集めていった。そうして、ついに発泡スチロールの有価買取システム(J-EPS recycling)が誕生したのだった。

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軌道に乗る

リサイクルシステム。
再生資源は海を渡った

このリサイクルシステムが軌道に乗り、全国に浸透し始めた。重平には買い取ったAランプを再生利用する当てが、国内にあった。しかしこのシステムが有名になるにつれて、市場から買取る物量も増えていき、ついに販路を海外に拡大しなればならなくなった。重平は台湾、韓国、中国、インドに再生資源の輸出先を探し求め、最後に香港にたどり着いた。折しも香港では、再生資源の買取の需要が増し、プラスチックのリサイクルが勃興。有力な市場となっていた。

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地球規模のリサイクルの環をつくるために

システムの大きな飛躍

全国の中央卸売市場、地方市場に広がったこのリサイクリングシステムは、旺盛な海外需要も手伝い、拡大を続けた。気がつくとマーケットシェアは全国の8 0 %に及び、月間回収量は2 , 0 0 0トンから3 , 0 0 0トンへと順調に伸ばしていった。折しもビデオカセットテープが開発され、Aランプがそのプラスチックケースの原料に採用された。リサイクル処理機の性能も大幅に向上し、機械販売も順調で、マスコミでも大きく取り上げられるようになった。

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お客様と乗り越えてきた困難

19 9 6 年に香港で廃棄物の輸入が禁止された。パナ・ケミカルは市場関係者との約束を守り、半年もの間、Aランプの買取を続けた。全国の倉庫はいっぱいになり、 倒産寸前まで追い込まれた。それでも、「継続こそ使命」と考え、限界までお客様とともにリサイクルをし続けた。事業が拡大する中で、発泡スチロールリサイクル以外にも、「資源プラ®」と呼べる再生プラスチック原料を取り扱うようになっていた。2 0 0 4 年に中国で、廃プラスチックが輸入禁止になった際も、パナケミカルはAランプを買い支え、2 0 0 8 年のリーマンショック時に原料価格が1 /3になった際も、国内に14 , 0 0 0トンを在庫として持ち、耐え続けた。そんなことができたのは、この仕組みを作ってきた重平、ひいてはパナ・ケミカルの覚悟だった。

資源プラスチック

月間7 , 0 0 0 トン

現在パナ・ケミカル は、資源プラスチックリサイクル事業が軌道に乗り、資源プラスチックとAランプ合わせて月間7, 0 0 0トンを扱う、日本最大級のプラスチックリサイクル会社となっている。かつて築地市場から立ちのぼる黒煙に気がついたことからはじまった、資源プラスチック有価買取システム。今では成長を遂げ、全国2 , 0 0 0 社のお客様にシステムを導入していただいている。リサイクル処理機を販売し、出来上がる資源プラスチックを買い取るこの仕組みは、お客様との協力関係と信頼関係によって成長を続けている。

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小さくて強い会社を目指して

パナ・ケミカルは決して大きな企業ではない。しかし、「小さな企業だからこそ、出来る事がある」と信じてやってきた。現在2 , 0 0 0 社に及ぶお客様と信頼関係を築いて来れたのは、ひたすらひたむきに一つの事に情熱をかけられる「小さな会社」だからこそであり、多くを求めず、プラスチックリサイクル事業だけを突き詰めてきた結果である。


「私たちはこれからも誇りを持って小さい会社であり続けます。人とつながり、資源をつなぎ、未来へつなぐ、プラスチックリサイクルの環を日本国内、そして世界へ広げて行きます。 株式会社パナ・ケミカル」

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